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「展覧会の絵」はどのようにして生まれたか

  • 執筆者の写真: 鳥山 明日香
    鳥山 明日香
  • 2020年12月17日
  • 読了時間: 3分





上の肖像画は「ムソルグスキー」。


肖像画の通り、ムソルグスキーは厳しく、激しい人だったようです。




ムソルグスキーがこの「展覧会の絵」を作った頃、彼の書いた曲は殆ど評価されないことが続き、心も傷つき、お酒を飲んで引きこもってばかりいました。




紳士的であったムソルグスキーの変わり果てた姿を見て、今まで近くにいた友達も、ひとり、ふたり・・・と去っていきました。




しかしムソルグスキーには最後まで一人だけ、心を許せる友がいました。


建築家で画家のガルトマンです。





ガルトマンはムソルグスキーとは対照的で、活発で明るい人だったようです。




ムソルグスキーとガルトマンは、これまでヨーロッパで身分の高い人やお金持ちの人々のために書かれた、お洒落な絵や音楽ではなく、身分も高くなく、お金持ちでもないロシアの普通の人々を、ロシアらしい絵や音楽で表現したい、という同じ志を持っていました。




ムソルグスキーは、「ロシア民族の歌を後世に残すことが我々の責任である」とも言っています。




ムソルグスキーとガルトマン、二人ともなかなか世間から評価されない日々を送っていましたが、お互いに尊敬し合い、認め合った、かけがえのない親友でした。




ところがある日ガルトマンは、39才の若さで突然亡くなってしまいます。

ムソルグスキーは大変なショックを受け、深く悲しみました。




死の知らせをガルトマンの妻から受け取ったムソルグスキーは、こんな風に言っています。




「たった2行の知らせが僕を打ちのめした。僕はベッドに倒れ込み、そのまま翌日まで起き上がれなかった」







そんな中で、ガルトマンの残した絵の展覧会が開かれました。



そこにはなんと、400点もの絵がありました。




会場を訪れたムソルグスキーは、ガルトマンの残した絵を見て、彼の芸術への強烈なエネルギーと一途な心に心底感動し、魂を揺さぶられ、自分もほとばしるような情熱をもってこの曲の作曲に没頭し、わずか3週間ほどで、この素晴らしい名曲、「展覧会の絵」を書き上げたのです。



3週間というのは、ムソルグスキーが他の曲を作曲した期間と比べると、異例の早さです。




私は、殆ど死人のように過ごしていたムソルグスキーに、まだこのような力が残っていたのかと思うと、人間の力というのははかり知れないものがあるのだと、心を打たれました。




ムソルグスキーは、世間で認められることはなくても、自分の信じるものをひたすら描き続けたガルトマンの志を目の当たりにして、いてもたってもいられなかった、書かずにはおられなかったのではないでしょうか。





そんな風にして生まれた展覧会の絵。



ムソルグスキーは、若くして命を失ってしまった親友ガルトマンの思いを引き継いでいきます。



それぞれの曲についての解説は、また少しずつ。


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